【洋書レビュー】L ‘Anomalie 「違和感」作/エルヴェ・ル・テリエ(未邦訳)

2021年4月20日

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ストーリー

2021年3月、パリ空港をニューヨーク行きのボーイング機が飛び立ちます。途中で飛行機は乱気流にあいます。後に乗客のほとんどが証言した通り「最期かと思った」状態が続きますが、乗客と乗組員の244名は全員無事でした。

3ヶ月後、ケネディ空港の上空に全く同じ飛行機が姿を表します。飛行機はすぐにアメリカ空軍の秘密基地に誘導されます。乗客はやはり乱気流に巻き込まれたと証言します。そして早く家へ帰らせて欲しいと訴えますが当局は彼らを全員基地に拘束します。

世界の最先端の科学者が集められ、機体と乗っていた全員のDNAを検査・分析します。そのほか気象学、物理学、宇宙工学など関連分野のあらゆる角度から検討します。

その結果は?飛行機に乗っていた244人はこの事態をどう受け止めるのか?

なぜこのようなことが起こったのか?このような事態はあり得るのか?これは神の技か?疑問が飛び交います。

ストーリーは登場人物たちの目線で語られます。

ヴィーガンレストランのオーナーとして成功しているブレイクは実はプロの殺し屋。3月にニューヨークで仕事をこなした後、ほかの便でフランスへ戻っています。

シングルマザーで画像編集者として世界的に知られるルシーと初老の設計士のアランはロマンスのはじまりをニューヨークで過ごそうと同じ便に乗っていました。2週間後二人はフランスへ戻りますが、程なく破局を迎えます。

ポーランド系移民の出身のヴィクトル・ミゼルはポーランド語と英語の翻訳家で自身の作品もいくつか出している小説家。翻訳した作品のサイン会がニューヨークで開かれましたが、飛行機が乱気流に巻き込まれたことで心身ともにバランスを崩します。そしてフランスへ戻って遺作を書き上げるとバルコニーから投身自殺をします。

ナイジェリア人の新進歌手兼アーティストのスリム・ボーイには大きな秘密がありました。彼は同性愛者ですがナイジェリアでは同性愛は受け入れられないのです。万が一バレてしまったらキャリアはもちろんおしまい、彼自身の命が危険にさらされてしまいます。彼はこのフライトで作った曲が世界のヒットチャートを駆け上がり大スターになりました。

フランスに赴任した夫と二人の子どもとバカンスを過ごしたアヴリルも同じフライトでアメリカへ帰りました。アヴリルは夫のことで密かに悩んでいました。以前は優しい青年だった夫はアメリカ陸軍に入隊して性格がすっかり変わり、温厚だった人格が横暴になり「夫が怖い」と感じるようになっていたのです。

黒人の女性弁護士のジョアンナは最高額の依頼を受けたばかり。そして私生活では最愛の夫との間に初めての子どもを身ごもり公私ともに順風満帆。妊娠3ヶ月の時にこのフライトに乗りました。

この飛行機の機長だったマークは1ヶ月後に末期癌が発覚し6月に息を引き取ります。

フライトから3ヶ月後に彼らは「もう一人の自分」と会うことになります。彼らはこの事実をどう受け止めるのでしょうか?

作者 エルヴェ・ル・テリエ Hervé Le Tellier

フランスの作家・詩人・シンラリオライター。

モチーフ

SFは人間社会への警告から生まれた

「1984」や「アニマル・ファーム」のSF小説をご存知ですか?産業革命や技術の行き過ぎた発達がもたらす不幸について警告した小説。

「1984」は国の輝かしい歴史しか残さない国家。家庭の中や人々が集まる場所に画面を設置して個人レベルまでコントロールする国家の末路を描いた作品。

「アニマル・ファーム」も科学が発達した世界で動物たちが人間にとって変わって世界を牛耳る姿を描いた作品でした。

その後も映画では「猿の惑星」のテーマは核戦争への警告でしたよね。主人公たちが馬に乗って猿の国を後にして海岸線を辿っていくと自由の女神像の頭が転がっていて、ここは「猿の惑星」ではなく地球だったことが判明するエンディングが印象的でした。

今回の作品は警告をしているならば、思いもよらない決断を迫られた時に自分で驚いてしまいそうな行動を起こす人間心理に対する警告かも知れません。自分のためにどこまでやれるか?の問題がもう一人の自分でも同じレベルで考えられるか?だと思います。

「ありえない」と「起こる可能性が低い」は違う

質問:244名の搭乗者を乗せた飛行機を丸ごと複製することはできるのか?

回答1:ありえない と思います? どういう根拠で「ありえない」と答えることができるのでしょうか?

回答2:可能性は低い これが本当の答えではないでしょうか。なぜなら今の技術では立体的なコピーを作ることができるようになったからです。30年前なら誰もが考えもしなかったでしょうが、今は簡単なものならできます。もしかすると、30年後は飛行機の中の人物のように重なっているものも、忠実に再現できるようになるのかも知れませんよね?

結論

1990年台のジョアナ・ハリスの『ショコラ』がベストセラー入りしたとき「10年前ならきっとフランス語で書かれたはずだが、英語で出版されたのは1990年台の恩恵だ」と称賛されました。

2020年に出た本作品は逆に、フランス語で書かれたアメリカ並みの壮大なスケールのサスペンス小説です。21世紀だから可能になった世界的なスケールの小説で、ヒューマニズムについての究極の疑問を提示している小説でもあります。

19世紀に書かれた「アニマル・ファーム」や「1984」に通ずる点があるかもと書きましたが、SFにパオロ・コエーリョの哲学的な小説を追わせる点があります。

この小説は現代の科学では不可能と思えることがもしも本当に起こったら、の問いかけで始まりますが、本当に問いかけているのは、私たちがその事態とどう向き合うか。

物語には11人の人物がこの問題に直面する姿が描かれています。どの人もその人らしい反応をし対応をします。人間らしくジタバタするのです。良いも悪いもありません。もちろんその自由が他の人の自由や命を侵害してならない範囲にとどめないといけませんが。

考えれば考えるほど難しいテーマですがとても読み応えのある作品です。

まだ和訳されていませんが、存在を知っていただけたらと思いご紹介しました。機会があったらぜひお手に取ってみてくださいね。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

次回の記事をお楽しみに!A bientôt!!

和泉 涼