カトリーヌ・ドヌーヴが姉を語った「その名はフランソワーズ」カトリーヌ・ドヌーヴ(未邦訳)

2021年6月9日

こんにちは。和泉 涼です。今日はフランスを代表する女優カトリーヌ・ドヌーブがお姉さんを偲んで書いた本をご紹介します。

カトリーヌ・ドヌーブといえば「シェルブールの雨傘」「昼顔」で知られる金髪のフランスの女優さんです。1960年代にデビューし、80代を迎えた今でもバリバリの現役の女優さん。その彼女にお姉さんがいたのをご存知でしょうか?

名前はフランソワーズ・ドルレアックで、カトリーヌと1年半違いのお姉さんでした。カトリーヌが映画界入りしたのもこのお姉さんの影響でした。不幸なことにフランソワーズ・ドルレアックは1967年6月に、自動車事故のために25歳の若さでこの世を去ったのです。これは若きカトリーヌの人生の最大の悲劇となりました。

カトリーヌは亡くなったお姉さんのことを長年話したがりませんでした。お姉さんが亡くなって30年以上経った1996年にやっと胸中を本にまとめました。

前書きはパトリック・モディアノが執筆しました。2014年にノーベル文学賞を受賞したフランスを代表する作家です。異例ですが、前書きの前置きにはフランソワ・トリュフォーのエッセーがついています。文学作品としてもすばらしい作品です。

ストーリー

このフランスの姉妹はブルネットのフランソワーズは情熱的な性格で若い頃から生命力に溢れた女優で、出会った人をとりこにしました。映画監督のフランソワーズ・トリュフォーやイギリスの名優マイケル・ケインもそうでした。

一方、妹のカトリーヌは、金髪で大人しげに見えつつも芯の強い女性。姉に比べると控えめに見えました。二人はまさに夜と昼。対照的な姉妹でした。

フランソワーズが亡くなったあと、カトリーヌは姉のことを語ることを避けました。おかげで姉妹がライベルになりつつあったから、などと陰口を叩かれることもありましたが実際は彼女を失った痛みと苦しみがあまりにも強くすぎて口にできなかったからです。この作品を読むと当時の真理がシンプルに分かりやすく綴られています。

あまりにも早く亡くなった姉への思い、双子のように人生の喜びも悲しみも全てを分かち合ってきた姉を失った悲しみを胸にしまったまま人生を歩んできた妹からの愛のメッセージともいえる作品です。

前書きはパトリック・モディアノ

ノーベル文学賞の受賞作家パトリック・モディアノ。彼は母親が舞台女優、フランソワーズ・ドルレアックも両親が演劇界に身を置いていて、その共通点から彼はフランソワーズを身近に感じていました。彼は作家を志しはじめた頃に初めてフランソワーズの舞台を見て彼女の全身からあふれる生命力と活力に心を打たれたと語っています。

そして初めて小説の出版が決まった3日後にフランソワーズの訃報を聞き、彼女が忘れえぬ人となったこともにも触れています。

パトリック・モディアノといえば、忘れられない場所と時間の向こうに懐かしい人の影を追いかけるナイーブな青年を描き続ける作家。

何十年もの時間の流れの向こうで命を奪われた人たちの、ことばにならない叫びを聞き、その面影を追いかけたスタイルが彼の作品そのもとなり、世界最高峰の冠を授けられました。

彼を囲む時間の流れの中に、10代の頃に出会った女優フランソワーズ・ドルレアックもいたのです。その出会いや思いを優しいことばで綴った前書きが思いを伝えています。

その前書きはフランソワ・トリュフォー

女優フランソワーズ・ドルレアックは一緒に仕事をした監督や俳優たちに深い印象を残しました。フランソワ・トリュフォーもそのひとりでした。彼が1968年に綴ったことばが前書きの前置きとして登場します。

フランソワーズ・ドルレアック

1942年生まれ1967年没のフランスの女優。カトリーヌ・ドヌーヴの姉。

実は二人は実は4人姉妹の長女と次女。

1957年に舞台でコレットの「ジジ」でデビュー。

1960年に映画「山古舎の狼」で銀幕デビュー。その後わずか8年の間に16本の映画に出演しました。

上の写真はフランソワ・トリュフォーとのツーショット。

1963年6月自らの運転でニース空港へ向かう途中で事故に遭い車内で焼死するという最期を迎えました。享年25歳。

語り手 カトリーヌ・ドヌーヴ

新進女優フランソワーズ・ドルレアックを失った妹のカトリーヌ・ドヌーヴ。世間は彼女にそんなレッテルを貼ろうとしましたが、カトリーヌはそのたびに跳ね返してきました。

仕事の上でライバルだった姉を失った心境は?お姉さんとは本当になんでも話し合える仲だったんですか?

マスコミはあたかも二人が対立しているかのように書き立てたこともあるとカトリーヌは穏やかに回想します。それは全く事実無根。二人の関係は最後まで「姉妹」の関係でした。

「姉妹」だからこそなんでも話し合える姉であり、意見が合わないとお互いに引っ込まないので最後には掴み合いになったり、大喧嘩することもたびたびでしたが、それは女優になるずっと前からのこと。

長女が非業の死を迎えたあとは一家はその痛みや苦しみを家庭の外で誰とも話しませんでした。マスコミはそこにもいろいろと書き立てましたが、実は家族の間でも話題にしたことは一度もなかったそうです。当時は何も口にしないことがフランソワーズを失った痛みを癒す方法だった、ただそれだけだったのです。

その結果世間に「冷たい家族」などと言われようになったのは本当に残念だと語り、今なら悲しみを家族や他人に話すことが心を癒すことを分かっているので今ならできるけれど、当時はそういうものだった。シンプルな中にも力のこもる語る口調に心を動かされます。

映画「ロシュフォールの恋人たち」

制作年:1967年

監督・制作・台本:ジャック・ドミ

音楽:ミッシェル・ルグラン

配役:カトリーヌ・ドヌーヴ、フランソワ・ドレルアック、ダニエール・ダリユー、ジャック・ペラン、ミシェル・ピッコリ、ジーン・ケリー、ジョージ・チャキリスほか

あらすじ: ロシュフォールは軍港の町。バレエの講師のデルフィーヌと作曲家の卵のソランジュは美しい双子の姉妹。二人は実は広場でカフェを営むイヴォンヌの娘。兵役を終える寸前のマクサンスが描いた理想の女性の肖像画はデルフィーヌにウリふたつ。街にお店を出したばかりの楽器店の主人のシモンは10年前の恋人を今でも想っている・・・。

髪の色・瞳の色と性格

欧米では女性は髪の色によって気性が違うといわれます。あの『赤毛のアン』でも赤毛の子は気が強いからアンを引き取るのやめなさい、と話す場面すらあります。

同じようにブルネットは情熱的だとか、金髪はおとなしくて頭が悪いなどと、言われ方はいい意味でも悪い意味でもいろいろ。

日本では、人は髪の毛の自然の色は基本的に黒なので、髪の色によって性格がどうだ、ということは言われません。また兄弟で髪の色が違うこともありません。

しかし欧米では同じ両親から生まれた兄弟でも、髪の色や瞳の色が違うのは自然のことです。学校でも教室にクラスメートが20人いれば、みんな髪の毛と瞳の色や質が違います。

筆者も中3まで日本人学校に通いました。そして卒業後にブリュッセルの高校に転校しました。ブリュッセルに住んでいても、髪の色も瞳の色も同じ日本人学校のクラスの風景に比べると、ブリュッセルのクラスの風景は一人ひとりをじっと眺めるだけでもエキゾチックで、慣れるのに結構時間がかかった記憶があります。

この本に出てくるカトリーヌとフランソワーズの姉妹は金髪とブルネット。おとなしい妹と陽気で大胆な姉の見本のような二人だったことがうかがえます。

最後に

この本を読んで私の中のカトリーヌ・ドヌーヴの印象が変わりました。私の彼女の記憶は80年代以降。つまりカトリーヌが40代後半を過ぎてからで「はすっぱなおばさん」的な印象が強くて、どうしてそれほど人気がるのか理解できませんでした。

80年代といえばまだビデオのレンタルもない時代。もちろんオンデマンド映画配信もありませんでした。カトリーヌ・ドヌーヴの初期の作品を見ようと思ってもテレビで放映されるのを待つしかありませんでした。

名画のオンデマンド配信が始まってはじめて「ロシュフォールの恋人たち」、「シェルブールの雨傘」など彼女の初期の作品を見ました。彼女の清楚な美しさ、細くて壊れそうなくらいにナイーヴな面が印象的でした。

2000年に入ってから出たフランソワ・オゾンの「8人の女」やカトリーヌ・フロの母親役を演じた「ルージュの告白」をみて実は彼女が「金髪のアイコン」ではなく等身大の役を力一杯演じていることを実感するようになりました。

よく考えると、60〜70年代の映画は、時代の価値観が今と違い女性が映画で演じることや映画で扱われる役柄についてタブーがたくさんありました。そのせいで役柄がアイコン化、イメージ化され、自然さが感じられなかったのかも知れません。

私は長年、彼女の金髪で洗練された外見と低音で少しハスキーな声やサバサバした口調のミスマッチが気になって、好きとも嫌いともいえませんでした。

でもこの本を読んでカトリーヌ・ドヌーヴは自分の考えをしっかり持ってそれをストレートに伝える性格で、そういう意味ではお姉さんのフランソワーズ・ドルレアンにすごく似ているのかも知れない、と気づきました。今まで持っていた印象とずいぶん違います。

この本でカトリーヌ・ドヌーヴが語っている部分は実はインタビューの形式になっています。おそらくこの本を執筆することになった時点でも自分のことばで説明するのが難しかったのでしょう。

記者がインタビューして彼女が答えるという形式をとっているせいか、カトリーヌ自身のことばが素朴にストレートに伝わってきます。そしてそこには女優としての見栄や名声をカバーしたいという思いはみじんもなく、ただ素直に姉との思い出を語る妹、姉への思いを必死に伝えようとするひとりの女性がいるのみ。心を打たれました。

フランス映画が好きな方、カトリーヌ・ドヌーヴが好きな方はもちろん、家族を失った悲しみや苦しみを知っているみなさんにお勧めしたい作品です。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

また別の機会にお目にかかりたいと思います。

和泉 涼